どうもエース森田です。
今はダーツをしてますが、昔は野球をやってました。
履正社ってとこでピッチャーして、それなりに名も売れていい経験をさせてもらいました。
その時からメンタルって言葉にはかなりお世話になってました。
そりゃ緊張する事もあれば、気が抜ける時もあります。
でも僕的には全部後付けな理由付けちゃうの?って思ってました。
だから脳の仕組みとか勉強しました。
知れば知るほど巷のメンタル論ってオカルトに近いなっていうのが正直な感想。
知れば知るほど、つじつまが合う事ばかり。
タバコが体に悪いとか、病は気からとか、オカルトっぽい事が逆に死角から正当化させられたりして楽しく学べました。
こんな感じでメンタルの正体については、ダーツに限らずスポーツに限らずあらゆる共通項として僕は持った状態でダーツを始めました。
だから、緊張感の度合いはあれど、メンタルに不安を覚える事はほとんどありません。
ところが、ダーツを始めて1年半ほど色んな方を見てきて、口から出るメンタルに対する言葉のほとんどが、昔感じた「オカルトに近いな」って感じた"それ"ばかり。
僕が正しいのかは正直分かりませんし、経験に勝るものはないのかも知れませんが、僕の中ではメンタルは塩コショウみたいなもんだと思ってます。
確かに適量加えれば味は変わりますが、それが全てに影響を及ぼすものではないという考え。
だからメンタルを鍛えろっていう言葉自体が本末転倒で、マズイ料理を美味しくするために「より良い塩コショウを探しましょう」って言ってるようなもん。
おかしくないですか?
素材ありきでしょ?って思いません?
それをダーツに置き換えると「腕」だと思います。
大事な場面で一本外しました、メンタルの問題かって言われると、一見そのように感じるかも知れませんが、それだけではないと思います。
確かに練習で入れるチカラはあるでしょう。
でも外さないチカラがあったのか?と言われるとどうなん?って。
外さない腕を練習によって作る事から非科学的なメンタルって言葉に逃げてるだけのような気もします。
逆にここ一番で入れた事をメンタルの強さで測るのも同じ。
非科学的な何か、神秘的な何かに惹かれるのが人間ですから、なおさらメンタルって言葉がみんな大好きなんだろうなっていうのが僕の見解です。
逆に技術的な微妙な誤差ほど修正が難しい作業ですが、それをメンタルって言葉に責任転嫁しておけば、それらしく聞こえるし最もらしいアドバイスに聞こえて、なおかつ楽。
裏を返せば技術を突き詰める事への冒涜だというのが僕の考えです。
それでも緊張する事はありますが、緊張した時自分の体がどうなるか?を理解さえしておけば、緊張に関わらず同じ結果を出す事も不可能ではないし、それが「"客観的に"メンタルの強さ」と認識されてると言うのが僕の考えです。
ダーツに限らずの話なので、どちらかというと僕のメンタル論をダーツに置き換えたら・・・って感じです。
それもこれも僕自身ちゃんと結果を出さないと「口だけ野郎」になっちゃうので、緊張しても何をしても平常心で臨みます^ ^
まだまだ足りないくらいですが、疲れて来たのでまた別の機会に書きます。
では( ^ω^ )