どうも森田です。
今日はダーツのことでもなんでもなくて。
良く人と同じ事が嫌いとか、嫌だって人に会います。
本質的には僕も似たようなもんなんで話合うんかなーなんて思ったりもしますが、やっぱり合いません。
合った試しがあんまりない。
本当に一握り。
そしてその一握りの人とは常に視点の斬新さ争いのような笑
こんな視点どう?みたいな。
そうやって視野を共有できたりする。
でも大半は共有出来ない。
なんでやろ?
俺はなんなんや?
と思ってたら一つの仮説が生まれました。
「あ、人と同じ事が嫌いって人と同じだ」
って事。
人と違ってる感が好きなんだろうなー。
もしくは
同じがただただ嫌だー。
なのかな?と。
僕は人と同じとか違うとかはあんまりどうでも良くて、そこにあるのは目標のみです。
でも僕の目標を目指す人は他にもたくさんいて、でもそのイスは一つ。
じゃあ同じようにみんな目指す上で少しでもよい乗り物乗って、ないなら探して、時には自分で作ったり。
そのかわり、そうこうしてる間に置いていかれるのは承知の上で。
いつでもそのうち全員ごぼう抜きしてやる気満々で。
本質的には同じレースを少しでも勝つ確率の高い戦法を選んでるだけになります。
結果的にその他大勢とは違ってくるのは最早必然なのかな?と。
流された方が良い時は流されながら。
その時も脱出するタイミングを計りながら流されるのか、ただただ人と同じはヤダーって感じで流されるのか。
僕の中に常にあるのは目標までの道のり。
必然的に出てくる"違い"なのか、大衆に反したいだけの"違い"なのか。
大衆心理を知れば、このロジックは分かるし、そこに穴があったりヒントがある事は容易に想像が付く。
大衆は常にヒントをくれる感じですかね。
そういう意味で大衆の意見は常に気にはかけます。
そんな大衆なんか目もくれずに我流で突き進む人はカッコいいと思うけど、ぼくにはそんなセンスはありません。
全ての設計図を書かないとやはりダメみたいで。
結論ですが、別にぼくは人と同じが嫌いなわけではありません。
根拠の無い大衆意見が嫌いなだけです。
でも世の中のほとんどは多数決で決まるので仕方ありません。
だから本当に本当に迷った時は、こっそりと少数決で決めたりします。
そこでなかなか決断出来ないだろうところで決断する。
その瞬間に個人的にはほぼ勝ち確な自信があったりするんですが、どうでしょう笑
履正社進学を決めた時も、当時無敵のPL学園と大学付きの関大一高との三択でした。
大学入学もスポーツ推薦を全部断って、浪人して入りました。
その空白の期間で得たものは大きかったりした経験からも言えます。
だから今の自分があるんちゃうかなと。
迷った時は少数決が僕の必勝法です。
分かるけどなかなか出来ないと言われますが、どうですか?
誰かの何かの参考になればと思います^ ^