どうも森田です。
これは僕が今年一年で感じて来た極論なんですけど、ダーツは
「失敗経験のある人」がやるべきじゃないか?と思ってます。
逆を言うとそれがない人が一番最初にやってしまうと
「知らん間になんとなく上手くなる」
が生まれやすい。
あくまで割合としての話ですが。
どの道、行き当たる壁や障害では、必ず多少なりのロジックやプロセスは踏まないとダメなんでしょうけど、そこまでの道のりですでに地域レベルでは無双出来る可能性も秘めてるのが、ダーツの魅力でもあり、怖いところでもあります。
分かる人には分かっていただけるかと思います。
逆に、野球やサッカーって、良くも悪くも教育機関がハッキリと別れていて、その分力量なんかもハッキリ分かります。
そして、それぞれの機関に所属さえしてれば、一定の練習を積まされて一定のレベルアップは図れます。
この段階でいかに横一線に疑問を持ち、自分で上達の理由を作り、他者を出し抜けるか?が現在のメジャー競技には必要な事なのかも知れません。
一方でダーツにはそのような機関は現在は皆無で、上達の道のりが「数字」によってしかなされません。
なんとなくでもイケてしまう可能性が他よりは高い。
それに勝つ事と数字がニアリーイコールであり、イコールではなかったりします。
ここでやはり勘違いが起こりやすいのかな?と。
一方メジャー競技は、結果は結果、数字も存在しますが、主だった判断はいつも指導者です。
良くも悪くも指導者という他者の物差しが介入してきます。
この、他者に優劣を見極めてもらう過程が実は結構キモだったりします。
どう見られてるか?
数字だけではないもの。
そこで失敗する人、逆に無駄に成功を収めてしまう人、たくさん見てきました。
しかしダーツには比較的それがない。
わけわからず上手くなって、
偉くなった気になる可能性や
今まで「競技」に対して優位に立った事のない人が一気にトップになれる可能性も大いにあります。
これは魅力的であり、一方で破滅への入り口だったりすると僕は思ってます。
例えば、以前「ダーツとタバコとお酒・・・」のブログで書きましたが、その時
お金持ったら札束チラつかし
いい車乗ったら見せびらかし
みたいな事が起こり得る、起こりやすい気がしてます。
いやいやそんな事ないよって人は、
"まだ"お金を持ってなかったり
"まだ"車乗ってなかったり
手にしてないだけです。
手にした時、本性が姿を表します。
今まで陽の目を見なかった人がワンチャン登りつめる可能性
それがキッカケで悪魔が目覚める可能性
このどちらも秘めてるんだろうなと。
そこで学べればまだいいんですが、いかんせん成人向け競技なもので、そこから改善するのはすでに難しかったりします。
改善するくらいなら離れる選択肢も出てきますし。
でも離れられないから意味不明なマウントを取りたがる人なんかもこの典型なのかな?と思って見てます。
じゃあどうすんねん?
というと、過去に失敗をした人がやれば良いじゃないか?という話なんですよ。
じゃあどんな失敗をしたら良いか?
それはなんだって良いので
「あの時こうしてたらよかった」
という経験です。
特にメジャー競技をがむしゃらにやってた人ほど、現役時代見えなかった事が競技を離れて見える事が多々あります。
でも一度競技を離れる選択をした人にとって、現役復帰は年齢的や環境的に現実的ではないはずです。
あの時こうしてたらもっとこうなったのに・・・
それを応用してセカンドチャンスとしてダーツをやるのはとても理にかなってないかな?と思うわけです。
上手くなるプロセス、成長を滞らせる要因、色々感じましたよね?
それを次はダーツで。
それぞれがそれぞれの人生で得たものをぶつけ合っていく。
これが僕のダーツの位置付けです。
人は誰でも心の中に灯をともしてると思うんですよ。
それを年齢や環境によって、不自然に蓋をするのって凄くストレスだと思うんですよ。
特にほとんどの方が生きるために働いてます。
そこでのストレスもあるかと思います。
でもその発散方法を他者を追い詰める者だったり、蹴落とすような方法ではなくて
自分で第2の青春を楽しむ事で生きる活力に出来れば、こんなに有意義なものはない。
僕はそう思います。
なので、僕は過去に一度もしくはそれ以上に「もっとこうしたらこうなったんちゃうか?」
という挽回不可能な後悔の答えあわせの一つとしてダーツを位置付けてもらえたらめちゃくちゃ良いのになぁと。
そこにダーツ界隈特有のしきたりやしがらみ。
そんなもん知らんがな、とくすぶった炎が焼き払ってくれるかも知れませんよ^ ^
そういう発信をどんどんしていくための環境をここ数ヶ月整えてました。
なので、もうちょい待ってて下さい。
PS.僕買うの今のうちですよ?
なんてね笑
グラッチェ!