努力の方程式
どうも森田です。
今日は昔話も少し。
みなさんの周りにも「アイツもっと練習したらもっと上手くなるのに」って人いません?
僕は野球やってる時、けっこうそんな事言われてました。
でもそれは高校から先の話。
その遥か昔の小学生の頃はセンス無いって言われてました。
普通小学生の頃からスーパーヒーローじゃないですか。
その集まりがフルイにかけられて残っていくイメージ。
でもそれを認めたくなくて練習して。
センス無いって言われてたから練習して、上手くなったら次はセンスで野球やってる、と。笑
挙句には、もっと練習すれば上手くなるのに。
ホンマどないやねん!うっさいボケ!ですよね。笑
でも基本的なスタンスって特別今と何も変わってないです。
逆に今は周りから努力家だとかストイックとか言わます。
でも僕自身は努力してるつもりは相変わらず全くないですし、むしろもっと練習しないといけないと思ってます。
全然勝ててないですし。
じゃあもっとやれよって話なんですけど。
そんな感じで基本スタンスは変わらないのに評価は二分されて来た変な経歴が僕にはあります。
努力家なのかサボリ魔なのか。
そこで、努力とかセンスっていう対極にありそうなカテゴリーのどちらにも勝手に属されて来た僕なら、その分野の通訳が出来るんじゃないかと思い、今書いてます。
と同時にもしかしたら努力出来ない人?!(というのも変だけど)のヒントとかにもなるかもと思い書いてます。
まず僕の前提として"楽"をしたいです。
もっと言うと、僕は楽に早く上手くなりたいです。
これは野球も同じでした。
野球やってた頃はピッチャーでしたから、とりあえず走れ走れ走れ走れでした。
冬なんか野球部か陸上部か分からないくらい。
そのうち箱根駅伝とか出れるんじゃないかと思うほど。笑
でも僕は仮にマラソンを1時間で走る能力があってもマラソンなんか絶対にしないです。
なぜなら「走るのが大嫌い」だからです。
しかし走らなければいいピッチャーになれないというのが"野球の常識"でしたから僕はその時点でほぼノーチャンス扱いの圏外でした。
だからバッターで野球やろうかとも考えました。
一応四番打ってましたし。
でも僕はピッチャーを諦めきれませんでした。
普通諦めて走るんでしょうけど、それも嫌。
だから走る以外の方法で上手くなろうと、走らなくても良い理由をまず探す事にしました。
そこから指導者→選手へ"教わる"一辺倒から『考える』という要素が加わりました。
でも、そこから早速壁にぶち当たりました。
何かっていうと"考える"には"知識"が必要だったという事です。
当時は何を考えればいいか分からなかったです。
イメージでいうと、その知識って言わば"点"です。
その点と点を結んで身にする為に考える事が大切なんですが、そもそも点が無ければ結ぶ線もないですし、点が1つしか無ければ進む方向性も訳わからない事になります。
だからまずその"点"すなわち知識がいりました。
それまでの野球ってスポーツは"既存の基本"に伸るか反るかの一択。
ピッチャーだったら走るか否か、走れば走るほど良いピッチャーになれるっていう感じ。
結果が出れば後付けのように「あいつ最近良く走っとるからな」と。
逆に結果が出なければ「もっと走らんかい」と。
そしてあまり走らず結果出し始めるとそれを次は「センス」の一言で片付けられる。
そのセンスって言葉にも「結果が出なければ立場が無くなる危機感」が常に隣合わせ。
その時理解しました。
あー、練習って上手くなる為のもんじゃなくて周りの信頼を得るもんなんやなぁと。
それって練習と呼ぶのかな?
ゴマスリ?の方がしっくり来るやん、と。
そして社会に出て、それは確信に変わりました。
40人ほどの社員がいる会社で、30%ほどの売り上げをたった一人で売り上げた後、突然辞表を突き付けてしまったりとかetc...
それはまた別のお話。
このままやと、だいぶ話逸れてしまいそうなので省きますが、盲目的に既存の基本を信仰するのも考えもんやなぁという"基本"が、幸か不幸か僕は学生のうちに備える事が出来ました。
そのキッカケは、ピッチャーはとりあえず走れ!という"点"しかなかったので、まずその点から疑ってひっくり返してやろうと思ったのが起点でした。
そこから走らず上手くなる知識という"点"が出来ました。
そこから派生して体の仕組みや投げるという動作、それら全ては今も知識として成り立ってます。
そして一番役立っているのはその"導き方"かも知れません。
そしてその点をまた疑う事、掘り下げる事も日常的に行なっています。
そして点と点を繋げる"導線"もしっかり活きてます。
言ってみれば点と点の導き方。
その導き方こそ、探求する事と、それらを探求して"どうなりたいか?"という事。
この2つを紡ぐたった1つの行為が「練習」なだけです。
探究する事と自分の目標。
探究心×練習=目標達成
この導線の作り方と導線の先に何があるかを理解さえすれば、後は特に何もいらないと思ってます。
よくモチベーションとかって聞きますけど、あれはモチベーションでもなんでもなくて「結果に踊らされてる」だけ。
見ていて感じるのが、過去の結果より良い結果が出て楽しいって気持ちが多くの人のモチベーションだと思うんです。
その時点で結果に左右されちゃってません?
レーティング下がってやる気が出ないとかがホントいい例で。
僕にはモチベーションとかあんまりないですし、あるのは今まで蓄えた"導線"と"目標"のみ。
それに対するモチベーションはもはやモチベーションなんて言葉じゃ足らない。
こうすればこうなるという仮説が明確であればあるほど、それを具現化するためのたった1つの行為が"練習"なだけ。
僕からしたらこの探究心に従ってるだけで、それは努力でもなんでもないです。
むしろ頭の中では出来てる事が実際出来なくていつも発狂しそうなくらい笑
出来ればこうなれるという自負もありますし、頭の中で想定出来た事が出来なかった事はないのでそこら辺は自分自身楽しみです。
ただ出来るのは分かってるからそれを一日でも"早く"達成したいだけ。
誰かに勝ちたいとかライバル的な人も特にいなくて、常に探究した自分との勝負。
人と対戦するのはPERFECTの舞台だけ。
それ以外は全てPERFECTで勝つための自分との勝負。
そうすると一時の結果に一喜一憂する事もほぼ無くなります。
結果に一喜一憂する時って、限って「最低限以下」の途中経過を経過してしまった場合くらいですかね。
その時は一人で怒り狂います。笑
自分が許せない感覚になるので。
下手くそなのでそれも少なくありませんが笑
話戻りますが、こんな僕の一連の行為が努力と認識されてるとしたら、努力の根源は「探究心」だと思います。
そうすれば芋づる式に勝手に努力出来るかと思います。
もし出来なければその目標はその程度だったか、人それぞれっていう都合の良い言葉でスルーして下さいm(__)m
特にダーツなんて、僕もそうですが「趣味」にすればいくらでも逃げれます。
その逆に、努力してる自分に酔ってしまうと終わりだと思ってるので、常に目標の方向性を見失わないための自分への言葉として書きました。
今はやるべき事をしっかりやる。
それだけです。
今年に入って人と全然投げてない笑
まるで引きこもりみたい。
でも今は、それがレベルアップのために僕の出した答えです。
出来るかどうか、良いかどうかなんてあんまり関係なくて、やるかやらないかですからね。
前にも書きましたが、不確かなものは消していき、不動なものから積み上げていく。
自分と未来は変えられるわけなので、不動のものに自分が合わせていく。
そして合わせていく先が、手に入れた点や導線を便りに進むのみです。
パズルの角や端っこから埋めていくようなイメージですかね?
考える事と目標さえブレなければ、身体が出来ない自分に耐えかねて本能的に脳みそがその差に耐えきれず身体が順応していく。
人ってそんなもんだと思ってます笑
脳科学的にいうとホメオスタシスを書き換えていくっていうんですかね。
もういくらでも出て来てしまいますので、言葉足らずなところはイマジネーションでカバーして下さいm(__)m
向上心に従って探究してたら、そもそも人間ってどう出来てるんや?ってものを理解する事に行き着きました。
したらば会社でポンポン売上上がってスポーツじゃない別のところにも影響を及ぼしたりしましたので、あらゆる分野においての信憑性は高めかも分からないです。
責任は待ちませんが。
まだまだ続きそうでボツにしてた記事ですが、ちょこちょこ書き足してそろそろ公開しようと思いました。
言葉足らずですが、僕の中の努力の方程式は
探究心×目標です。
最近僕より僕が教えた周りの方が結果出てるので、自分自身が自分の考えをもっと理解しろ!って意味も込めて文章にして吐き出す事にしました。
もっと自分信じて追い込んでいきたいと思います!
Gラッチェ!