どうも森田です。
最近は教えてくれというより、なんで"そんな事"してるのか教えてくれって聞かれる事の方が多くて。笑
そこで僕は、あえて「〇〇さん」とか固有名詞を出すのは好きじゃないので出しませんが、その理由から教える事に関して・・・いやむしろ教わる事に関して感じる個人差を書こうと思いました。
教わる前に理解しておいて欲しい事が2点。
これは別に僕が教える場合ではなく、むしろ僕が教わる場合に気を付けている事でして。
ならびに上手くなる人と上手くならない人のもしかしたら共通点かも知れませんという事にも繋がるかな?と。
教わる際に必要な事はこれだけです。
・尊敬
・選択
この二つです。
といってもなんのこっちゃなので説明します。
まず、尊敬というのは
教える人にとって教える内容は「生きた証」だという認識を持つという事です。
ゴマするとか敬語使うとか貢物を持っていくとかそんな上っ面の形式ばったもんじゃないです。
その人がその知識を得るために要した時間や労力、そしてそれを一つのコンテンツとして人に伝えてるわけですから。
この意識を持つ事が大切だと僕は思ってます。
そしてですね、この意識を持ち続けると次はどうなるかと言いますと、面白い事に
「どれだけの労力を使ったのだろう?」
「何に基づき教えてるのだろう」
「どんな生き方して来たんだろう」
みたいな部分を自然と見れるようになって来ます。
そこでですよ、もし教える側が
「〇〇さん(偉い人的な)が言ってたから」
「みんなこうしてるから」
みたいな内容だと、どうでしょう?
はて?
ってなりませんか。
つまりは「尊敬」して接するからこそ見えてくると僕は思ってます。
もしかしたら「中身がない」と感じるのは、ここら辺の意識が潜在的に働いてるのかも知れません。
次に"選択"について。
この選択に関しては少し尊敬と重複する部分もありますが、複数あります。
一つ目は、時期。
二つ目は、信頼。
まずは時期について。
例えば、今僕の取り組んでいる事と、先週ダーツ始めましたって人と取り組む内容は違います。
だから僕にとって正解でも、ある人にとっては不正解になってしまう"時期"があります。
簡単に言えば
闇雲に投げて良い時期があったり、考えて投げなければならない時期があったり。
それを踏まえて正解か不正解ではなく"選択"していく必要があります。
そしてその選択しなかったものも蓄積していく必要があります。
だから僕はブログに書いてるという側面もあります。
次の信頼です。
これも信頼の何を選択するんだ?って話しなんですがそれは正しいかどうかの判断を委ねる選択です。
信頼を選択します。
変な言い方ですが、要するに「行き止まり」までいけって話しです。
この人の言う事が仮に違っててもそりゃ仕方ないと笑えるかどうか。
そしてその判断基準が冒頭の尊敬に繋がってきます。
もちろんその人の生きた証、蔑ろには出来ませんよね。
という最低限のモラルを持つべきだと考えています。
だから容易に教えて下さいとは言えないし、こちらとしても個人でできる最大限の努力をしない事には対等な土俵には立てません。
大抵の教えてくださいって言葉には
[何か手っ取り早く上手くなる方法があるなら]って枕詞が付いてますから。
僕は教わる側が、逆に教える人にとっての何かヒントになるような質問しようとか、そんな考えあったんや!と思えるような、それくらいの意気込みがあっても良いと思ってます。
ところがどっこい、尊敬出来ない人はゼロサムで考える人も多くて、僕の気づきなどを全て「素直じゃない」とか「屁理屈」だと言って一蹴しますけど。笑
大抵の場合、頼んでもないのに「お前のためだ」的な感じで勝手にアドバイスしてくる場合がほとんどですが。
※そんな人はアホをこじらせて来年まで寝込めばいい。
そんな感じで尊敬と選択が大切だと僕は思ってます。
超簡単に書きましたが、僕はこの意識をいつからか持つようになりました。
キッカケはもちろんあったんですが、長くなるのでこの辺で。
※のフレーズは、ある本から引用したんですがマジ明言w