◯◯を使わず説明する事
どうも森田です。
僕が心がけてる事を1つ。
ダーツに繋がるのかどうかは知りませんが、僕が人を見るときここを意識してます。
人を見る、と言うとなんか聞こえ悪いですが、そこに悪意は無いと察して下さい笑
例えば、誰がどう見てもダーツが上手い人を「ダーツが上手い」という表現を使わずにダーツの上手さを表現したり。
誰がどう見ても天才(イチロー選手にしときましょうか)な人の事を天才という言葉を使わずどう表現するか。
僕はそこに思考の深さとか普段何考えてるかとか、すごく垣間見れます。
凄そうに聞こえて実は意外と浅いと感じる事が多いです。
凄そうと思われる時点で凄いといえば凄いですが笑
ちょっと嫌な表現になりますが、それらしく堂々と語ってる自信満々な人でも、ほとんどは"誰か受け売り"であったり"誰かの見解"でしかありません。
そして、その際たる言葉は広義的な意味での表現に収束する場合がほとんどです。
だから抽象的な凄そうな言葉にまとめられてしまう。
僕は、正しいとか間違ってるとか、そんな事はどうでも良いんです。
自分が何を感じ、どう思うか?
意外と自分の言葉で語れる人が少ないのが残念です。
それは◯◯だ、と言ってたその"誰か"が正しいと言い切れますか?
その昔、肩を冷やすな!と投手はプール禁止、半袖禁止と言ってた過去の常識も、今やタブーだったりします。
そしてアイシングもまた賛否が出てたり出てなかったり。
それやったら自分はこう思う、なぜならこうだったから。
と自分の感覚を持って、深く深く対話した結果、それを今在る言葉を紡ぎ合わせて必死に自分の言葉で語る人と、そうで無い人との思考の深さが同じわけありません。
そういう細かいところの表現で、人を見てしまう癖は、良くも悪くも敏感に感じてしまいます。
だからタメになりそうな話なのに実はそうでもなかった時、自分にはセンスがないなんて思わないで下さい。
センスなんかいくらでも創れると信じて、日々試行錯誤して、言葉紡いで結果で表現していきたいと思いますので、まだまだ下手くそではありますが僕の考えが、数ある理論の1つとして認知されるように。
考える事は人間の特権やと思ってますのでとことん突き詰めていきたいと思います。
グラッチェ(^-^)