ダーツバーの繁栄とダーツの普及はイコールか?
どうも森田です。
ここ3ヶ月くらい、明確に考えている事が主観と客観両端から見て「ダーツ」ってどうなん?
という事がずっと引っかかってました。
お酒とタバコの事も
プロとしての話も
自己成長の捉え方も
全て、起因は主観と客観の両端から見た「ダーツ」です。
そこで新たな疑問が一つ出て来たのが
ダーツバーの繁栄がダーツの普及活動なのか?
という事です。
ダーツバーあってのダーツだ!というのはもちろん疑いようがないんですけど
昨今の不況の影響もあり
「投げたい人」と「繁栄させたいバー」の双方が多少なりのストレスを抱えてるような印象を持ちます。
そのストレスの結果が様々なトラブルを引き起こしてやしないか?と。
極論ですね、
ダーツバーがゼロになりました。
投げ放題のネカフェ系しかなくなりました。
どうでしょうか?
ダーツの普及は絶望的になりますか?
僕はそれはそれで戦略があると思います。
それに、これと同じような境遇の競技を一つ知っていて
それは「ゴルフ」です。
打ちっ放しって、ダーツで言うネカフェ的な感じじゃないですか?
例えば、これはこれで"実現不可能"だと思いますが
オフラインのダーツマシンが10台以上置いてるようなスペースとかが、もし万が一出来たりしてしまうと何か変わらないかなー?とか。
なんか色々と、ダーツバーに固執し過ぎてる気がしまして。
もっと端的に言うと「投げるならダーツバー」と定義づける事で、逆にダーツ普及の流れを滞らせてる可能性はないかな?
と思うわけです。
そんなデメリットばかりではないのですが。
もちろん不必要だとは思いませんし、時に足枷になってやしないか?という疑問です。
普及のため、存続のため、繁栄という大義名分の名の下に、客単価を上げる努力が良しとされてましたが、逆に客単価が低い事前提での方針なども考えるべきではないかな?と僕は思います。
最近で言えば、一時期一世を風靡したライザップ社ですら、急激な赤字転落する時代です。
あれこそ正しく、高単価商売のリスクだと思います。
ならばあえて低単価を前提とした薄利多売システムの"保険的要素"も必要じゃないかな?という事です。
これは、だいぶ前にダーツライブ200sの存在でダーツバーが暇になる可能性がある。
みたいな事を目にした時、ずっと引っかかってました。
あんな機械一つと、手塩にかけて頑張ってるダーツバーに影響あったらたまらんよなぁ。
と思ったのと同時に人類の淘汰の摂理には逆らえないのか、と。
でもそんな単純なもんちゃうよなと思った事から、もっと明確にダーツバーが存続していくには存続する理由が必要で
それこそがダーツバーの存在意義ではないのかな?と思います。
また改めて、森田一也の考えるダーツの位置付けを新しい報告も兼ねて書きたいと思います。
お前そんなん言うて口だけか?
バー経営した事ないくせに!
と思われるのも面倒ですが、僕のなかでは、儲かるダーツバーは今後もっと確実に儲かるんじゃないかと。
バカ者よそ者にしか出来ない事ってあるんかな?と思ってます。
でも一番引っかかってるのは森田一也のテイクバックの折り返しですねー!笑
グラッチェ!