レーティングより大事な事
どうも森田です。
ダーツの良いところでも悪いところでもあると思ってるんですが、レーティングってありますよね。
ドラゴンボールの戦闘力みたいなやつ。
ダーツやる人同士だと自己紹介の一部にすらなってるレーティング。
まず名前・・・の次は、普通セッティングやろ?とか思いますが僕の経験上セッティングよりレーティング聞かれる事の方が多かったです。笑
レーティングって、高くても良いとは限らないし、とはいえ高ければとりあえず良いものでもあると思ってます。
それにレーティングが上がって行く楽しみも、成長を楽しむ観点から見たら大賛成です。
しかし数字が下がった時も、容赦なく下がった事を突きつけられるのがレーティングの厄介なところ。
僕も、今はライブで16くらいでフェニはギリギリ23くらい^^;
普通なら"落ちた"とか"下がった"という印象になりますが、僕は本気で今が1番強いと思ってます。
まあ・・・ちょっとイップスなだけで笑
レーティングが下がろうと上がろうと、大前提に成長を楽しんでます。
冒頭でレーティングが上がる=成長とは言いましたが、レーティングが下がる=能力が下がったわけではありません。
僕はレーティングが下がっても能力は少しずつ上がってます。
事実、リーグとかハウス(あんま出てないけど)では今が1番打てます。
というところまでだと、結局はボヤッとした精神論のような気がするので、今回は具体的にどう考えてるかを突っ込んで書こうかと思います。
例えば、ゼロワンとかだと150を打つ事もあれば、たまに80とかも打っちゃうわけです^^;
でも重要なのが、その80の打ち方。
どのようにして80だったのか。
僕の場合は外しても外しても今の課題を第一に全う出来たかどうか、に重きを置いてます。
昨日なんかも140打った後、80くらい連続で打ってしまったんですよね。
ついつい入れにいった140より、全うした80の方が練習としては「◯」です。
それに、投げてたら大体分かるじゃないですかスタッツとか。
1本外しだったらいくらで、4本外しまでは・・・みたいな感じで。
いきなりノーブルしたら115くらいやなとか。
分かるからこそ気になるじゃないですかある程度。
にも関わらず課題に全う出来たメンタリティ。
これは必ず数字は下がっても自分を強く形成してくれるものになります。
だから1番勿体無いな、と思ってしまうのは
レーティング下がってきたから、負けそうになったら投げやりに投げる事。
僕の場合、腕が出にくくなってきて、レグ中に「腕を出すだけ」に集中して適当に投げるのとは意味合いが全然違います。
その時その時、数字や相手との対戦があるにも関わらず「自身の課題」を全う出来たかどうか?
それを成長の指標にすれば、レーティングに囚われず意味のある練習が出来るのではないかと思います。
というか、練習は積み重ねられていくと考えてます。
レーティングをあげる事も成長ですが、もっと深くまで「成長を楽しむ」とはどういう事か?
を突き詰めれば、結果に対する考え方も変わってくるかと思います。
とはいえ、課題を全うした事によるミスを今に甘んじる言い訳などにはしてはいけません。
鼻歌歌いながら125の5.3を打てる技術を付ける事。
森田一也には、まだ見ぬ境地。
まず今はそこを目指してやってます。
イバラの道ですが、道は必ず繋がってます。
進むか戻るかは自分次第!
これが僕は大事だと思ってます。
グ!