どうも森田です。
昨日久々に色々とアドバイスを求められました。
その時「あれ?めちゃ久々やな教えるの」と思いながら笑
それでどこどこの誰々にこんな事言われたとか、なんか初心者やからって上から言われましたとか、色々聞きました。笑
彼ら曰く、「講釈垂れ」というネーミングが付いてました笑
これってめちゃくちゃな事だと思いません?
良かれと思って言ったアドバイスがそうなってしまう。
でも僕はこう思います。
アドバイスして優越感に浸りたいだけちゃうんか?と。
僕はそんな人をまぁまぁ見てきたので、自分からアドバイスをしてくる人には、シャ乱Qばりに「バイバイありがとうさようなら」と心の中でエンドレスリピートです。
でもその気持ちだけを気持ちよく受け取ります。
クリスマスの中身だけメルカリで売ってしまうキャバ嬢もそんな感じなんですかね?笑
とにかくまとめるとアドバイスを求められると答えないし、それは出し惜しみしてるわけじゃなくてそういう考えがあるからです。
そのかわり、アドバイスする時は、教える前にどういう受け取り方をすれば良いかを先に絶対伝えます。
これは僕が野球の高額塾を5年やってる(これ言うの初めてかも)からというのもありますが、同じアドバイスでも上手くならないロジックと上手くなるロジックがあります。
ダーツを始めた時は、このロジックで自分で自分を創ったらどうなるかな?という興味からスタートしたのを今でも覚えてます。
ダーツのプロとか、特に考えてなかったのにしっかり取り組んだのはこんな背景があったから。
だから"教える"事に関しては、出し惜しみとか値打ちこくとかじゃなくて「安易に扱えない」のです。
教えるからにはという気持ちは強いし、かといって今まで同じ志しを持てそうな人とは出会わなかったというのと、僕自身がそこまでダーツ上手くないから需要と供給のバランスが劇的に偏ってしまって教えてないだけです。笑
やっぱり上手い人とか優しい人に教わりたいでしょうし。
僕他人にあんま優しくないですが自分にはもっと優しくないので、優しくしてるつもりですが、相対的には厳しいんだと思います。
でも思い返せば、学生の頃に教えてくださいと言われても「お前は森田一也じゃないから無理や」と言って断ってた事を思い出すと「10年経ってなんて優しくなったんだ」と自分の成長ぶりに安堵してしまいます。
プロのスカウトにも噛み付いては何回もどつかれそうになりました(^^;
お前ら古いんじゃボケ!としか心の中で思わなかったですし。
今思うと野球やってた頃はキチガイやったみたいですね。
大人になった今なら分かりますが、スカウトの評価に「人間性が✖️」ついてた理由が分かる気がします。
正しいとかは時にどーでも良かったりします。
ダーツを始めて本当に良かったです。
もしかしたらダーツを始めてから出会った人を大切にしてるからこそ教えないのかも知れないです。
あの頃を思い出して、もっと自分を追い込もう。
思い出したら今の自分、とてもあまちゃんでした。
あー10年前思い出したら恥ずかしいですが、良い思い出です。
最終戦がんばろ。