どうも森田です。
昨日はOBが集まって夏の甲子園優勝の祝勝会が市内某所で行われました。
ここでは書けないような内容の事ばかりの年代でしたので思い出の話しといっても、もちろん書けないような内容ばかりです。笑
そんな中でずっと履正社高校を率いて来た監督が今年と秋に本を出版され、そこで個人名の記載はなかったものの上記の"書けない内容"について触れてたので"履正社の森田一也"と"今の森田一也"の違いを書こうかなと思います。
STORY.JPというところにも僕の記事を載せてまして、そちらでも高校時代の話しは書いてますが、やはり大きな転機となったのは上記の"書けない内容"についての事でした。
僕自身、高校入学後すぐに3年生の試合にずっと帯同して高一夏から鮮烈にデビューしてやろうと意気揚々と高校野球の世界に足を踏み入れたのですが、とりあえず練習が長いしキツイし目標への意識より、その日1日どう凌ぐか?みたいな毎日しか送れなくなってました。
本当に心の弱い人間なので。
でも目標を達成したい気持ちは微かにずっと残ってました。
捨てるくらいなら辞めてましたが捨てるのはカッコ悪い、とはいえ練習もしんどい・・・みたいな葛藤だったのが入学して半年ほどの僕です^^;
とはいえ硬式の野球を始めてから、良くも悪くも"期待される事"が当たり前だと思ってた部分もあって、期待されてる事は分かってたしそれを当たり前だとも思ってました。
そんな中で冬のトレーニングの中で
「このままやったらその他大勢になってまうんちゃうか?」
みたいな危機感と喪失感を感じたのを覚えてます。
そして覚悟が決まったのは次の監督の一言でした。
「学校生活テキトーにして野球だけちゃんとしようとすんな、それやったら野球もテキトーにせえ!」
普通この言葉は「学校生活もちゃんとしなさいよ」というメッセージだと思います。
しかし当時の僕は理想と現実のギャップに心が折れかけてたので文字通り"開き直りました"
当時ずっと読んでいた手塚氏の著書に書かれた当時の野球の知識と基本から、遠くかけ離れた理論に対しても
「このままやっててもたかが知れてるから一回そっくりやってみたろか」
と腹を括りました。
そこから一気に2年の春はエースとなって、歴代最強の呼び声高かった当時のPL学園にも善戦し、信頼を勝ち取りました。
しかし、これは色んな事が偶然歯車が合っただけだという事に自分が良く分かってましたが、心の弱さから「まあこれくらいでもなんとかなるって」
と言い聞かせるような毎日でした。
そして迎えた夏の大会に向けた6月のオープン戦、事件は起きました。
1回ノックアウト・・・
自分の結果も受け入れられず、勝ち取った信頼が崩れた事実も受け入れられず、自分の弱さを理解しながらそれを挽回してやろうとする気力すら湧いてこない・・・そんな感覚でした。
そしてそれを知った監督が僕に対して"指導"をしました。
※教えすぎない教え 岡田龍生→https://books.rakuten.co.jp/rb/15923131/
しかし当時はそれすら僕には届かず、不甲斐ないまま高校生活を終える事になります。
さらにはそれが原因で監督は謹慎処分。
そして僕が原因の監督不在で、チームがバラバラになり僕自身の心にも指導は響かず、一年後僕は引退し監督は復帰しました。
学生野球の華でもある高校野球にあって、僕が人生で一番不甲斐ない3年間だと感じるのはこういう事情があったからです。
確かにそんな渦中でも"プロ注目選手"に名前が挙がり、最後の夏も怪我でベンチを外れたにも関わらず高校野球雑誌に名前が載っていたりしてた事を思い出しても、全国探してもここまで情けない高校球児はいてないだろうと思います。
多分それは僕が人に恵まれすぎてたのだと。
さらにそこから大学の進路についても自暴自棄になり、推薦を全部断り結局浪人して弱小大学を勉強で受験し「誰にも頼らず個を高める」チャレンジをする事にしました。
そりゃ高校時代を知る人からすれば「森田は終わった」と誰もが思った事でしょう。
それを覆すには周りと同じではダメだし自分で自分を戒めれるかどうか?結果出せるかどうかのチャレンジをしよう、そう考えました。
結局手応えを感じながら結果が伴わず、そこから社会人になり、2社勤めて2社ともクビになり、自営として生きていく事になったあたりから、ようやくメンタリティが備わってきた気がします。
これまで周りの人に恵まれすぎて自立出来なかった僕が、1人になる事でやっとです。
そしてその頃から自立させようと試みてくれた方の意図も本当の意味でやっと理解出来ました。
でも不思議と、当時からそれを理解出来てたらなぁ・・・のような後悔はありません。
そして実は昨日、同じ言葉を監督の口から初めて聞きました。
「謹慎になってチームを離れた事は後悔してるけど、森田を指導した事は全く後悔してないし後悔した事は一度もない」
と。
お互いあの事件で苦しい期間を過ごしたのですが、僕も監督も後悔は無い。
むしろ時が経てば経つほどその想いは強くなります。
もちろん容認される事は無いですし、僕が次誰かに同じ事をする事もありません。
しかし、当事者同士がこのように感じてる事なのに外野がギャーギャー騒ぐなよ、とも思います。
あそこでノックアウトを喰らい、見限られてたら今の僕は無いですから。
でも今の僕が当時の僕を見ても多分"指導"するでしょうね笑
なんせぬるかったですから。
そんな過去があって今がありますから、もっともっと成長に貪欲になると共に、成長に対してどう向合えば良いか分からない方にとっての"道標"のような存在になれたら良いなとも思います。
当然これを読んでる方は僕の今の姿しか知らないでしょうけど、本当に根性無しのクズ野郎でしたから。
そしてそれを自分もよく分かってるので、日々自分の心を焚き付けて燃やし続けないと走れない事も知ってます。
これも僕の中から出た「成長との向き合い方」です。
どんな言葉でどんな行動で自分の心を焚き付けるか?
僕はそれを知るのに長らく期間を要しましたが、それぞれの方がそれぞれの分野で成長と向き合う事を楽しめる社会になれば、まだまだ日本の未来は明るいんじゃないかなと常々思ってます^ ^
成長を楽しみましょう!
グ!