どうも森田です。
ある方には耳が痛い話になるかも分からないのですが、興味ある方は見てください。
今回のコロナウイルスによる一連の世界的流行。
確かに不運だとか未曾有の危機だとか、全ての表現は決して間違ってないとは思うのですが、果たしてじゃあ今までは正しかったのか?と振り返ってみるとどうでしょうか?
現代において当たり前だった日常も、誰かの何かの積み重ねによって作られたあくまで過去の平均値だという事を忘れてしまってたんじゃないでしょうか?
という事を今回のコロナウイルスの蔓延により、改めて認識させてもらいました。
もちろん生活に支障が出るレベルで影響が出たり、そんな客観的に軽々しく口に出来る問題ではない事は百も承知です。
しかし今、そしてここから先の未来は間違いなくコロナのある未来であり、また別のウイルスが発生し蔓延する可能性のある未来を引き続き生きなければなりません。
そうなった時、毎回毎回未曾有だなんだと騒ぐのも得策ではないと思うし、事あるごとに自粛とか、働きたい人が働けない世の中になる可能性も今後は視野に入れながら生きる必要があると思います。
もう少しキツイ例え話をすると
もし仮に僕が工場を持つ社長なら
機械に代われる仕事は今後機械に換えていくだろうし
オンラインで進める事の出来る業務はオンラインを推奨する事になるでしょうし
大きく構えてランニングコストのかかる不必要なオフィスは縮小していくでしょうし
コロナを機に人の移動や人の密集をなるべく避けて生産性を保つ方向にシフトしていくと思います。
例えばそこで大量のリストラが敢行されたとして、それは人としては別として経営者としての判断を責める事は誰にも出来ませんよね。
それに今回半強制的にリモートワークを強いられた企業の多くは
不便さよりも便利さを感じたはずです。
案外いけるやん?!
いかに今まで無駄が多かったかわかったわ・・・
これが知り合いの社長達とコロナ後、話した時の共通した結論でした。
もちろん人が不必要な業務はありませんが、不必要に人員を割く業務は容赦なく切られていく未来もそう遠くありません。
そろそろ本気で「当たり前の尊さ」から目を背けずに向き合わないといけない時期に来たんじゃないかと感じています。
コロナがもたらしたのは、ウイルスという名の時代の転換期なのかもしれません。
モノが無かった時代の常識のまま
先人達によって先進国に押し上げて頂き
その勢いのまま次はモノが溢れた時代に突入し
常識の変化への舵取りが上手くいかなかった企業が
コロナを機に素早く舵取りする未来
これが現実的に近付いてる気がします。
コロナのせいで仕事がなくなった方の裏では
コロナをきっかけに未来は舵取りした方がいる。
めちゃくちゃ残酷な言い方をするも
コロナを口実に無駄なものを省く事が出来る・・・とも言えます。
必要のない人なんていませんが、代わりの利く人もしくは人以外の何かの存在により押し出されてしまう可能性は十分あり得てしまいます。
今回のコロナをキッカケに、時代の流れに逆らう事なく冷静に自身を見つめ直す期間だと位置付けてみるのも良い気がします。
うちは大丈夫・・・経営者側の意見から申しますと本当にヤバイ時はヤバイと言わないもんですよ。
小難しい事をグダグタと言いましたが
要するに、誰かの為に頑張ろうって話しです。
誰かにとって必要な人はみんな尊いし
今のままのイス取りゲームを続ける事なく
みんなそれぞれイスを作りましょう!
みたいな話です。
頑張りましょう!